同窓叢咲(むらさき)会
『叢咲』難しい漢字ですが、本校には戦前から立派な藤棚があり、毎年5月になればすばらしい藤の花が咲き、その藤色のむらさきの色と「本校卒業生が全世界で叢(む)れ咲(さ)くことを願って」叢咲(むらさき)会という名前がつきました。
河上桂子会長(昭和52年卒業)ごあいさつ
平成30年の役員改選により僭越ながら、会長をお引き受けすることになりました河上桂子(昭和52年卒)でございます。
創立157年を迎えたこの長い歴史ある学校の同窓会会長を務めさせていただき、身の引き締まる思いです。昨年度(令和5年度)はコロナ禍の影響もようやく落ち着き、4年ぶりに同窓会の活動として母校の文化祭に参加させていただき「ホームカミングデーinむらさき祭」を開催いたしました。当日は多くの同窓会にお越しいただき大盛況に終えることができました。
また、今後につきましては、同窓会の皆様、生徒の皆様にも楽しんでいただけるような催し物を企画し、同窓会活動を運営していく予定です。
本校同窓生がなつかしい高校時代に思いを馳せ、また新しい出会いの場作りができればと思っています。微力ではございますが、役員一同精一杯つとめさせていただきますので、宜しくお願い申し上げます。
令和6年度 同窓叢咲会総会の開催について(お知らせ)
令和6年9月7日(土) 13:00~ (受付 12:30~)
今年度も母校の文化祭(むらさき祭)に参加をさせていただきます。
詳細が決まり次第、お知らせいたします。
「純真」三十三柱の御霊の安らかな御冥福を祈り、平和を誓う
太平洋戦争の真っ只中(昭和19(1944)年1月)に、学徒動員令のもと出動し、小倉陸軍造兵廠では風船爆弾に使用する和紙をこんにゃく糊で貼り合わせる作業や、光海軍工廠では重い弾薬を運んだりしていました。
太平洋戦争の終戦前日の昭和20(1945)年8月14日の昼、光海軍工廠で米軍による大規模空襲があり、学徒犠牲者133名のうち本校(当時 中村高等女学校)生徒は33名もの多くの犠牲者を出しました。中村女子高等学校150年の歴史の中でこれほど厳しい悲惨な時代は、かつてなかったと思います。
この戦争のもたらした不幸な出来事の体験者も歳月とともに少なくなり、風化しつつあります。その体験者の記憶の糸がたぐれるうちに可能な限り刻明に記録し、戦争の愚かさ、平和の尊さを後輩の皆さんに語り継ぎ、いつまでも平和が続くように!という強い思いから同窓叢咲会で制作しました。
- 証言集「純真~動員学徒の記~」(昭和60(1985)年5月刊行)
※本校事務室にて閲覧可能です。(事前にご連絡〔083-922-0418〕をお願いします。)- Blu-ray「純真(終戦前日、うら若き乙女に起きた悲劇)」(平成27(2015)年8月制作)
※上記のYouTubeサイトから動画をご覧いただけます。
同窓会の活動(令和5年度)報告
9月 | ホームカミングデーinむらさき祭(文化祭に参加) |
11月 | 創立者中村ユス先生墓参(山口市宮野 法明院) | 12月 | 常任幹事会 |
2月 | 常任幹事会 同窓会入会式 |